7月7日(水)


. 起きると昼の12時だった。

14時間以上眠っていたことに気がつく。

下に降りると、テーブルの上に手紙が置いてある。かーさんの字で、学校に欠席の連絡をしておいたことと、ご飯の置き場所が書いてある。

子供が学校を休んだというのに、無関心と言えば無関心な話だが、今はそれがありがたい。

ご飯を温めて食べる。

食べ終えると家に閉じこもるのが嫌になり、MTBに乗ってあてもなく走り始める。

夏の日差しの中、角をでたらめに曲がりながら走り続ける。

(ここではないどこかへ、か……この状況じゃ洒落にならないな……)

2時間近くグルグルと走り、とある交差点で赤信号に引っかかる。

ぼんやりと信号をながめていると、後ろから誰かの呼び声が聞こえる。

「……ちゃん。」

(えっ?)

おれは驚いて振り返る。

「あーちゃん。」

絢音さんが小走りに近づいてくる。

「あーちゃん、どうしたの?こんな時間に。」

「絢音さんこそ……お店はどうしたんですか?」

「お昼が終わってお客さんが途切れたから、足りない物を買いに行ってたの。」

絢音さんはそう言うと、両手に下げた買い物袋を少し持ち上げる。

「あーちゃんこそどうしたの?学校さぼったでしょ。」

「はい……さぼった、ようなもんです。」

「あーあ。悪いんだ。そんなことしてると不良になっちゃうよ。」

「不良、ですか。」

そんな単語も久しぶりに聞いた。

「そうだ。じゃ、袋を持ってくれる?」

「えっ?」

「重くて大変なの。ね。」

「いいですけど……」

絢音さんから袋を受け取ると、どう考えても軽い。

「絢音さん……軽くないですか?この袋。」

「うふ。あーちゃんって力持ちなんだね。」

「力持ちとかそういう問題じゃないと思いますけど……」

「じゃ、行きましょ。」

結局、おれは絢音さんの喫茶店まで荷物を運ぶことになる。

「それじゃあ、おれはこれで。」

店の前に着くと、絢音さんに袋を渡す。

「あら、なにか飲んでいったら?運んでくれたお礼に、なにかごちそうするんだけどな。」

「あっ、いいです。軽かったですから。」

「でも、あーちゃんもなにか飲みたいでしょ?」

確かに、暑い中を走っていたから喉は渇いている。

「はい……それはそうですけど。」

「じゃ、決まり。」

おれは半ば強引に喫茶店に連れ込まれる。

「ここに座って。」

おれは一番奥のテーブルに座らされる。

「ちょっと、待っててね。」

そう言うと、絢音さんはカウンターの後ろに行く。

しばらくすると、テーブルにルビー色をした透明な液体が置かれる。グラスの底からは炭酸の泡がはじけている。

「はい。絢音さん特製ドリンク。召し上がれ。」

「ありがとうございます。」

おれはグラスに口をつける。少し甘い炭酸水が喉を刺激する。

「ふう。」

「どう?」

「おいしいです。」

「そう。よかった。」

絢音さんがにっこりと笑う。

「それに、気分がよくなるような気がします。」

これを飲むと、ここ数日沈み込んでいた心がふわりと浮き上がるような気がする。

(「すごいな。絢音さん特製ドリンクって……魔法みたいだ。」)

絢音さんはそんなおれを微笑みながら見ている。

「えっと……」

おれは頬をかきながらもう一度グラスに口をつける。喉が渇いていたのでごくごくと飲み干す。

「もう一杯飲む?」

「はい。いただきます。」

(ふー。なんだかふわふわした気分だ。)

絢音さんがグラスを2つ手にして戻ってくる。

「はい、どうぞ。じゃ、わたしも飲むね。乾杯しよっか。」

おれは絢音さんとグラスを合わせる。硝子の澄んだ音が耳に響く。

「ねえ、あーちゃんはちゃんとご飯食べてるの?」

「はい。今日は食べました。」

「そっか。よかった。でもちょっと残念かな。おねえさんが作ってあげたのに。」

「そんな……先週もごちそうになったばかりですし。」

そう言って、おれは今日も飲み物をもらっていることに気がつく。

(……おれって……結局……いつもこうだよな……)

「ん?どうしたの?」

「いえ……つくづくおれって流されやすいと思って……」

「そう?」

「いつもはっきり断れないから……流されちゃって……」

「でも、あーちゃんはそこがいいんじゃない。」

「……そんなことはないです……」

「どうして?」

おれはテーブルを見つめたまま黙り込む。しばらくして目を上げると、絢音さんが前とかわらない、やさしい眼差しでおれを見ている。

「あの……ですね……」

おれはぼそぼそと風霧のことを話し始める。

「……それで……その子はなにも憶えてないんです。」

「憶えてないってどういうこと?お酒でも飲んでたの?」

「あっ、はい……そんな感じです。」

絢音さんが静流さんと紗奈ちゃんの秘密をどこまで知っているのか、おれにはわからないので2人のことは伏せておく。

「そっか……」

絢音さんが考え込むような表情になる。

「それで、あーちゃんは好きなの?その子のこと。」

「えっ?」

思いがけない質問に言葉が詰まる。

「だから、あーちゃんは好きなの?その子のこと。」

(おれが……風霧を好き?)

考えたこともなかった。

「話した方がいいかどうか。あーちゃんがその子を好きかどうかで決まると思うの。」

「そうですか……でも、おれが好きなのは紗奈ちゃんですし。」

「そういうことじゃないでしょ。誰かと付き合ってたら、他の人を好きにならないなんてことはないんだから。」

「そうですか?」

「だって、あーちゃんは好きでしょ?絢音おねえさんのこと。」

「えっ?」

絢音さんは、にこにこしながら驚くおれを見ている。

(そりゃ、好きか嫌いかと言われたら好きだけど……)

「ね?」

「はあ。」

「はあじゃなくて。」

「えっと……はい。」

「それで、その子のことは?」

おれは風霧の顔を思い浮かべる。

「好きかどうかはわからないけど……気になってます。」

「そっか……じゃあ話した方がいいわね。」

「そうですか?」

「だって、その子のことが気になるに、隠し事をしてたらおしゃべりもできないでしょ?」

「でも……どうすればいいのかわからなくて……」

「そんなの簡単よ。」

「……簡単ですか……」

「だって、あーちゃん。最近、紗奈ちゃんともちゃんと話してないでしょ?」

「ええ……それは……」

「月曜日から紗奈ちゃんの様子がおかしいから、変だと思ってたの。」

「紗奈ちゃん、変でしたか?」

「バイトの途中も上の空で、お水はこぼすし、コップは割っちゃうし、お皿はひっくり返すしで大変だったの。」

「そうですか……」

おれのせいで紗奈ちゃんを苦しめていたかと思うと胸がますます痛い。

「それで、その子のことも避けてるんでしょ?」

「……はい。」

「そのことで、その子が傷ついてるのもわかるでしょ?」

「……はい。」

「でも、大事な人を傷つけちゃうと、自分も傷ついちゃうでしょ?」

「…………はい。」

おれの脳裏に風霧、紗奈ちゃん、のぞみの顔が同時に浮かぶ。

(ごめん。みんな……)

「だから最初に、それをやめてみたら?」

おれは顔を上げる。

「ね。自分が悩んだことで、大事な人を傷つけることをやめれば、それ以上自分を追い込まなくてすむでしょ?そこから始めてみたら?」

「…………」

絢音さんは少し首をかしげ、おれを下からのぞき込む。

「ねえ、あーちゃん。絢音おねえさんに会えたら嬉しい?」

絢音さんが、突然話題を変える。

「ええ、嬉しいですけど……」

「じゃ、会えて嬉しいって顔をしてみて。」

「えっと……こうですか?」

おれは笑ってみる。

「もう。表情が固いなぁ。わたしはあーちゃんに会うともっと嬉しいよ。」

そういうと絢音さんはにっこりと、嬉しそうに微笑む。

「道でばったり大好きな絢音おねえさんに会ったと思って、やってみて。」

おれは言われた通りに想像してやってみる。

「そうそう。その感じ。大事な人に会えたら嬉しいでしょ。だったら、悩んでる時にも、少しでもその気持ちを表に出すようにすれば、うまく行くの。」

「そうなんですか?」

「うん。ちゃんと試してみてね。」

「はい。」

「それで、いいタイミングが来たら、今は言えないことをちゃんと話すの。そういうことは、すぐに出来ることじゃないから。」

「はい……」

「自分がつらいときに人を思うのは大変だけど、ちょっとでも相手が好きな気持ちを出せば、それがきっかけになって色々なことが上手くいくのよ。」

「わかりました。」

「……でも複雑だな。」

「なぜですか?」

「だって、こんなことを教えちゃったら、あーちゃんがますますもてちゃうんだもん。おねえさんは妬けちゃうな。」

「ははは……」

「だから、あんまり使いすぎちゃだめよ。」

(どっちなんですか……絢音さんは……)

最後の言葉は本心かどうかわからないけど、絢音さんのおかげで随分と心が軽くなった気がする。

「あの……ありがとうございます。」

「ん?」

「その……話を聞いてもらって……」

「いいの。おねえさんはいつもあーちゃんの味方だから。」

「はい……」

「ねえ、あーちゃんはこの後どうするの?どうせなら夕飯も食べて行ったら?」

「いえ、学校を休んであんまり家をあけると親がうるさいんで、帰ります。」

「そう。残念だな……」

「でも、ありがとうございます。」

絢音さんはおれを表まで送ってくれると、入り口の札をOPENに変える。

「すいません。お店の途中だったのに。」

「いいの。この時間は一番人が少ないから。気をつけて帰ってね。」

「はい。」

おれは絢音さんと別れると、家への坂道を勢いよく登っていく。

かーさんに、明日から学校に行くと言うとほっとした顔をする。やっぱり、相当心配してたみたいだ。

学校が終わる時間を見計らって紗奈ちゃんに電話をかける。紗奈ちゃんにも同じことを告げると、やっぱりほっとした声が返ってくる。色々な人を心配させていたことを実感して、申し訳ない気持ちになる。

風霧とのぞみには、電話で謝るか直接会って謝るか迷う。結局、メールを送って明日直接謝ることに決める。

のぞみからはすぐにメールが返ってきて、「心配したんだからね」という言葉の後に怒った顔文字が打ってある。

風霧からは返事がこない。

(怒ってるのかな……無理ないよな……明日謝ろう。)

おれはそう決心した。




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