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昼休みのチャイムがなると、おれは重大なことに思い当たる。 (ああ、紗奈ちゃんを探していて、昼メシを買うのを忘れた……) その事実に気がついたおれは、がっくりと肩を落とす。 (なんだよ……これで放課後までメシ抜きか……) 購買に行こうかとも思うが、図書委員長の憎らしげな顔つきがおれを引き止める。 (あーもう。しょうがないな……行くか。) 渋々と立ち上がったおれに一夜が声をかける。 「あすまぁ、もってけ、これ。」 だらりと伸びた手には野菜ジュースが握られている。 「メシ忘れたんだろ、お前。」 「い、一夜。」 「おれは固形物は持ってないけどな。少しは足しになるだろ。」 「いいのか?お前の命の糧だろ?」 「気にするな。」 「そうか、ありがとう。」 今日だけは一夜の背中に天使の羽が見える。 「そんなに見つめるなよ、てれっちまうだろうが。」 おれはそんな一夜の肩を軽く叩いて教室を出る。 (野菜ジュースで腹がふくれるわけじゃないけど、こういうのは気持ちだからな。ありがたいありがたい。) 図書室に着くと、すでに数人が本を物色している。 (なんなんだ、奴らは……昼メシも食わずに本を漁るとは……新手の第三世界人か?) おれはとりあえずカウンターにつくと、待ちかねたように差し出された本を受け取り、貸し出し手続きをする。 「うん。感心、感心。ちゃんとやってるわね。」 手続きが終わったところで、静流さんがカウンターに入って来る。 「遊馬くん。先にお昼食べてきたら?わたしが見てるから。」 「あっ、いいですよ、おれは後でも。それに、今日はこれだけしかないですし。」 そういって一夜からもらった野菜ジュースを見せる。 「どうしたの?」 「買うの忘れちゃって。」 「あらあら、なにやってるのよ。」 そういうと静流さんは持ってきた袋からパンを取り出す。 「はい、これ。」 「えっ?」 「カレーパン。ここのはおいしいから食べてみて。」 「でも……静流さんはどうするんですか?」 「いいの。これは遊馬くんに食べて欲しいと思って買ってきたんだから。そうそう、このくるみパンも食べてみて。」 「い、いいですよ。悪いですし。」 「こんな時に遠慮しないの。わたしは大丈夫だから、ね。」 「そうですか……すいません。」 「いいから、いいから。食べてきて。」 おれは静流さんに見送られて奥に引っ込む。 (一夜から野菜ジュース、静流さんからパン。普段は紗奈ちゃんにお弁当をつくってもらって……おれっていつも人から食べ物をもらってばかりのような気がする……) おれは多少の悩みをかかえながら最初にカレーパンをかじる。確かにおいしい。 (生地の歯ごたえと味、具の辛さのバランスが絶妙だ……) 野菜ジュースを飲みながら食べ終えると、くるみパンに移る。 (へー。甘さ控え目でくるみの固さがパンの柔らかさとマッチして……おいしいや。) 数分とかからずに2つのパンを食べ終わると、静流さんのところに戻る。 「静流さん、どうぞ。」 「あら、もう食べ終わったの?」 「はい。とってもおいしかったです。」 「そう。それはよかった。」 静流さんがにっこりと笑う。 「でも、もうちょっとゆっくり食べてくれてもよかったんだけどな……」 「いえいえ。そういうわけにも行きませんから。」 「そう。じゃ、後はお願いね。」 静流さんはそういうとやけにあっさりとカウンターを後にする。残されたおれは、取り合えずそれまでに返却された本を棚に戻す。今日はなにごともなく昼休みが終わり、教室へと引き揚げる。 (どうしたんだろ?今日は静流さん、やけにおとなしかったけど……いや、だからって、なにかを期待してるわけじゃないぞ、おれは。) 教室に戻り、午後の授業が始まった。 ……………………………… ……………… …… 放課後。 (さて、またあそこに行きますか) 騒がしい教室の中で、おれは一人暗く立ち上がり、図書室への廊下を歩いていく。 (ふう。どう考えても終わりそうにないんだよな。いかにして無理なく無駄なく手を抜くか……なにかいいアイディアはないものか。) 図書室のドアを前にしても、なんの考えも浮かんで来ない。 (はあ……あきらめて地道にやるしかないか。) おれは、図書整理中の札をドアノブにかけると本棚と向かい合う。 (おいおい。昨日整理した棚ももう順番が変わってるよ。これじゃあ賽の河原みたいなもんだ……よし、これは見なかったことにしよう。昨日やった棚が乱れたのはおれのせいじゃないし。) 棚の配置が大体わかるようになったおかげで、昨日よりは速いペースで作業が進む。しかし、30分ほどたって我に返ると、残りの本の多さに愕然とする。 (どう考えてもあと4時間はかかるぞ、こりゃ。やはりどうにかして手を抜く方法を考えないと……) おれがしばらく考え込んでいると、カチャリと扉の開く音がする。 「あっ、今日は図書の整理中なんで……って……静流さん?」 静かに扉を閉めた静流さんが近づいてくる。 「ちゃんとやってる?遊馬くん。」 「はい。もちろん。」 今の今まで手を抜く方法を考えていたことはこのさい置いておく。 「どうしたんですか?」 「ん?遊馬くんを手伝おうと思って。」 「?」 「昼休み見たら全然本棚が整理されてなかったから、手伝いに来たの。」 「えっ、でも……お昼も手伝ってもらって、これまで助けてもらったら……静流さんは忙しいはずだし……」 「執行部の仕事はちゃんと片付けてあるし、今日の放課後は暇だからいいの。」 「でも……」 「そんなこといって、遊馬くんは閉門時間までに仕事を終わらせる自信はあるの?」 「いえ、ないです。」 「じゃあどうするつもりだったの。」 「なんとか上手く手を抜こうと……」 「もう。そんなことして、今井くんに見つかったらどうするつもりなの?先生にまで話がいっちゃったら、わたしでもかばいきれないんだから。」 「はあ……」 「だから、わたしが監視してることにして手伝ったら早く終わるでしょ?」 「はい。」 「ん。じゃあ始めよっか。」 静流さんが逆側の棚から始めることにして、おれは作業に戻る。しばらくすると、本を持って移動している最中に静流さんに呼び止められる。 「遊馬くん、なにやってるの?」 「なにって……本を手に持って歩いていますが……」 「一冊ごとに移動させてるの?」 「はい。」 「うーん。それじゃあいくら時間があっても足りないわよ?」 「そうですか?」 「ねえ。一冊ごとじゃなくて、ある程度まとまったところで動かした方が効率的だと思わない?」 「それは……そうですね。」 「でしょ。そうね……じゃあこうしましょ。まず2人で一つの棚から別の棚の本を抜き出すの。それで、わたしが本をもとの場所に戻している間に、遊馬くんがどんどん他の棚の本を抜き出していくの。それで、全部の本を本来の棚に戻したところで、順番通りに並べれば早いんじゃない?」 確かに早そうな気がする。 「早速始めましょ。」 おれは機械的に違うジャンルの本を抜き出し、机の上に置いていく。静流さんは、それをある程度まとめた後に各本棚へと戻す。今までの苦労が嘘のように作業がはかどり、1時間もしないうちにそれぞれの本があるべき棚に収まる。 「じゃ、次は並べ替えね。」 これまで通りに順番を変えていくが、途中で本を移動させなくていいので、格段に速く進む。作業を続けていると、30分ほどで集中力が途切れてくるのを感じる。考えてみれば、図書室に来てかれこれ2時間近い。 「静流さん。」 「なに?」 「少し休みませんか?ちょっと疲れちゃて。」 「そうね。」 静流さんが本棚の間から出てくる。 「紅茶あるけど、飲む?」 「はい。」 おれは静流さんからコップを受け取り、口をつける。 「ふう。」 疲れた体がすこし甘い紅茶に癒される。 (はあー、疲れた。もう帰りたい……とはいってもまだ残ってるしな……静流さんが来てくれたからずいぶんはかどったけど……こんなの、一人でやってたらぜったい終わらないって、どう考えてもあいつの陰謀としか思えない……これはイビリというかイジメなのではなかろうか……) ぼんやりとそんなことを考えていると、背中に軽い重みを感じる。 「ちょと、静流さん。」 静流さんは、背後からおれの首にそっと腕をからめると、そのまま背中に頭をもたれさせてじっとしている。 「静流さん……どうしたんですか?」 「ん…………なついてんの。」 夕日に照らされた図書室の中で、静流さんの呼吸だけが感じられる。 「切ないなぁ……」 静流さんがそっとつぶやく。 おれは言葉もないまま押し黙り、時間だけが流れていく。 しばらくの後、静流さんはぎゅっと抱きついたかと思うと、勢いよく離れる。 「ん。じゃ、続けよっか。遊馬くんも立って立って。」 おれは言われるままに立ち上がる。静流さんは、本棚の陰に隠れてしまい、おれもやりかけの仕事に戻る。会話もないまま作業を続け、日が沈む前に終了した。 「うん。終わったね。」 静流さんが元気よく言う。 「はい。」 「じゃ、帰ろっか。」 図書室を出ると、人影のない廊下を歩いていく。 「どうしたの、遊馬くん。黙り込んじゃって。」 「え、ええっと……なんでもないです。」 そう答えるおれの心に、さっきの静流さんの言葉こだましている。 「もう。遊馬くんらしくないんだから……ねえ、人のいない学校ってなんだか恐くない?」 「そうですね。ちょっと気味がわるいですね。」 「でも2人っきりなのよね。」 「はあ。」 「ねえ、遊馬くん?」 「はい。」 「ここでしない?」 「いっ?」 「だれもいないし……学校でするのってドキドキしない?」 そう言うと、静流さんはおれの腕を取る。そちらを見ると、静流さんのふくよかな胸とくびれた腰が目に入る。 (ここでするって……静流さんが教卓の横であんなことや、机の上でこんなことを……) 妄想が爆発し、鼻血が出そうになる。 (いかん。アホか、おれは。) 「遊馬くん。わたしの胸を見てるでしょ?」 「み、見てません。金輪際見てません。胸も見てませんしウェストも見てません。」 おれは静流さんの手を振りほどき、後ずさる。 「そ、それに教室でそんなことをするなんて、それも執行部部長が、駄目です。絶対駄目です。」 「もう。遊馬くんったら、エッチなこと考えてるでしょ?」 「考えてません。そんなことはまるっきり考えてません。」 「わたしがいってるのは鬼ごっこのことなんだけどな。」 「鬼ごっこ?」 「そ。じゃ、遊馬くんが鬼ね。」 そういうと静流さんは駆け出す。おれはあわててそれを追いかける。階段を駆け下り、下駄箱の前でどうにか追いつく。 「はあ、はあ、やっと捕まえた……」 おれはあえぎながら言う。 「……静流さん……さっきはわざと勘違いするように誘導したでしょ。」 「えへ、ばれたか。」 「バレバレです。」 「だって……遊馬くんが黙り込んじゃうから。」 「あっ……」 「遊馬くん、自転車なんでしょ。」 「はい……」 「じゃ、一緒に行くね。」 2人で自転車小屋に行くと、MTBの鍵を外す。 「静流さん、乗っていきます?もう遅いですし。」 「そうね……今日はやめておこうかな。一緒に歩いて帰らない?」 「おれはいいですけど。」 おれはそういうと、神無家の玄関まで静流さんを送っていく。 「じゃ、またね。遊馬くん。」 「はい。あの、今日はありがとうございました。」 「いいの。でも、もう図書委員はさぼらないでね。」 「身におぼえはありませんが、可及的速やかに善処します。」 「もう、真面目にやらなきゃだよ。」 そういうと、静流さんは微笑みを残して門の中に消えていった。 ……………………………… ……………… …… 家に帰っても静流さんのあの言葉が思い出される。 (「切ないなぁ」か……) 思い出すたびにドキリとする。 (静流さんはいつも冗談っぽくせまってくるけど、本当はどうなんだろ……おれのことを好きなのかな……そんなわけないよな……) 全男子の憧れの的である静流さんが、紗奈ちゃんと付き合っているおれを好きになる理由が見当たらない。 (からかわれてるだけだと思っていたけど……どうなんだろ……) 考えれば考えるほど意味がわからなくなる。おれは仕方なく考えるのをあきらめると、眠りに落ちていった。 |
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