. いつもなら待ちに待った放課後だが、今日は違う。

「ふう。」

おれは一つため息をつくと、のろのろと立ち上がる。

「ため息か、今日は。」

あいかわらず机に頬ずりしたままの一夜が言う。

「ため息もつきたくなるさ。これから書架整理という意味不明な任務が待っているとあってはな。」

「ほーう。書架整理……ね。」

「それより一夜。お前はなに委員なんだ?」

「んー、おれか?おれはなんもやってないぞ。」

「ほんとか?」

「ほんとーだ。」

「どういう差別だよ、それは。委員決めの時、お前も寝てたんだろ?」

「まあ、日ごろの行い、ってやつだな。」

「おいおい、お前がそれを言うかぁ?」

「ま、日々善行を積んでいるからな、こう見えてもおれは。」

「机に張りついて野菜ジュースを吸うのが善行か?」

「不殺生、という点では善行だろ?」

おれは、一夜とのやりとりの後、図書室へ向かう。ドアノブに図書整理中と書かれた札かけると、手順が書かれている冊子を開ける。

(ふーん、なになに、棚を回って本を本来あるべき場所に戻すのか。背中の分類番号を見て、本を番号順に並べて、違うジャンルが混じっていれば、図で指定された棚に戻せばいいわけか。なんだ、簡単じゃないか。えーと、この棚から始めるとして……これはここ、これはここで、こいつはあっち……なんだ、みんなちゃんと戻せよな……ん?これはアルファベットが違うから別の棚か。GEはっと……げっ、部屋の反対側か。)

本をそっちの棚に戻すと、再び整理を始める。意外と違うの棚の本が混じっていて作業がはかどらない。

(はあ、なんの因果でこんな目に……)

おれは黙々と2時間、ひたすら本を移動させ続ける。

(ふう。もういいだろ。)

まだ4分の1ほどしか終わっていないが、体力が続かない、というか飽きた。

(もう帰ろう……)

カバンをつかむと図書室の外に出る。夕日で真っ赤に染まった廊下を歩き、渡り廊下に差しかかったところでふと下を見ると、武道場の横に風霧らしい人影が微動だにせず立っている。

(なにやってんだろ?)

気になったおれは、行き先を変更して武道場へ向かう。道場の角を曲がると、垂直に立った棒の前に刀を持った風霧が立っている。傾く夕日を受けた風霧は、長く影を引いたまま微動だにしない。

(どうしたんだ?)

雰囲気的に声をかけるのもはばかられ、おれはただ風霧を見つめる。

(なんか近づいたら切られそうな雰囲気だな……そういえば、棒の先に房みたいなのがついてるけど……あれを切るのか?)

風景が朱色に染まる中、どれだけそうして見つめていたのかはわからない。おれの頭から時間が失われ、痺れが感じられる。

その時、風霧の体が音もなく動く。空中に光がきらめき、棒の先端についていた房がゆっくりと落ちていく。

刀をさやに収める音が響き、風霧が落ちた房を拾い上げる。魅入られたように呼吸を止めていたおれは大きく息を吐く。

「ん?」

風霧がこちらを振り返る。

「結城か。」

「う、うん。」

おれはなんとなく気まずい思いで風霧に近づく。

「見ていたのか?」

「うん。すごいな、切ったのか、それ?」

「うむ。」

そう言うと拾った房をおれに渡す。

「これって……藁(わら)か?」

「そうだ。居合いの稽古では良く使う。」

手渡された藁の束は、かなりの厚みと重みをもっている。藁とはいえきつく束ねてあり、相当に固い。それが綺麗に斜めに切断されている。断面に触ると尖った先端が手に痛い。

「すごいな。」

「ああ。今日の切り口は悪くない。」

「悪い切り口があるのか?」

「もちろんある。心がぶれている時は切り口もぶれる。今日は滑らかで悪くない。」

「そうなんだ……しかし、風霧がこんな練習をしているとは知らなかったよ。昨日もおとといもやってなかったし。」

「居合いの稽古は、普段はうちの道場でする。しかし、道場が使えない日は特別に学校でやっている。」

「そうなんだ。」

おれはそう言うと風霧の刀をちらりと見て、藁束に目を戻す。あの時、おれはこれだけ切れる刀をつかんだかと思うと、いまさらのように背筋が寒くなる。

「その、だな、真剣は危なくないか?」

そう言った後、われながら間抜けな質問だと後悔する。

「いや、保管には十分に気をつけているし、稽古の時は周囲に人がいないことを必ず確認しているが。」

怪訝そうな表情で風霧が答える。

「そ、そうだろうな。うん。」

「もし、わたしのことを言っているのであれば、幼い時から修練を積んでいるから心配はない。」

「そうか。それはそうだろう。おれもそう思うよ。」

おれの答えに風霧はますます怪訝な顔をする。

(なにを焦ってるんだ、おれは。風霧はあのことを憶えてないんだし、普通にやれ、普通に。)

「えーとだな、風霧はいつから剣道をやってるんだ?」

「正確には憶えていないが、もの心ついたころから木刀を振っていた。さて、4、5歳くらいからだろうか。」

「木刀?」

「ああ、うちの道場は昔から木刀を基本としている。門人は竹刀を使うが、わたしは最初から木刀を持たされた。」

「すごいな……」

「前にも言ったが、風霧の剣は退魔の剣。常に魔物との戦いを想定している。だから、稽古でも木刀を用いる。」

「そうか……」

退魔という言葉に保健室での嫌な記憶がよみがえる。

「なあ、風霧。」

「どうした?」

「その……前に妖魔はすべて切るって言ってたけど、それは変わってないのか?」

「無論だ。それがわたしの宿命。変わるものではない。」

「そうか……」

おれはいいよどむ。

「……でもな、その妖魔というのも、全部が全部悪い奴じゃないんじゃないか?」

「どういうことだ?」

「だから……風霧は妖魔はすべて切るというけど、妖魔の中にも良い奴、悪い奴がいるんじゃないのか?」

「良い妖魔か……そんな話は聞いたことがないが。」

「だってな、風霧は妖魔を見たことはないんだろ。」

「ああ。父から話を聞いただけだ。」

「だったら、そいつらが全部悪いと言い切ることはできないだろ?」

「いや、風霧に伝わっている限りでは良い妖魔の話などない。妖魔は常に風霧の敵だったし、曽祖父は妖魔に襲われて命を落としたと聞く。」

「……」

「妖魔にとって風霧の名そのものが敵であり、風霧にとってもそうだ。風霧に恨みを抱くモノは多い。その一族だというだけで、いつ、どこで襲われるかわからない。わたしが幼少より剣を磨いてきた理由もそこにある。」

「……」

「だから、もし妖魔を見たならば迷うことはない。全力でそれを切るのみだ。」

おれの脳裏に紗奈ちゃんと静流さんの姿がよぎる。

「……でも、そんなのは絶対におかしいと思うんだ。」

「なぜだ?」

風霧の目が鋭く光る。

「前にも言ったろ、風霧たちとは50億分の1の確率をくぐり抜けて出会ったって。おれはそのことに意味があると思うからみんなに話しかけるし、みんなと楽しくやって行きたいと思ってる。だから、この世に妖魔というものが存在するとしたら、そのことにだって意味があると思うんだ。妖魔がいるならいるだけの理由があるはずだし、それを考えずにすべて殺すというのは絶対におかしいよ。」

「……」

「だってそうだろ?人間だって、あいつは嫌な感じだからって最初っから切ってたら嫌な奴のままだろ?話してみれば意外といい奴のこともあるし……妖魔だって切りにいけば切り返してくるのが当然だろ?だから、風霧が妖魔を見たことがないんだったら、最初から切るんじゃなくて、せめてそいつがどういう奴か、確かめた方がいいと思うんだ。」

「嫌な奴か……」

少し苦しそうな表情の風霧がつぶやき、しばらくの間、沈黙がその場を支配する。

「お前は……困ったことを言う。」

「そうか?」

「…………」

風霧は黙り込む。おれもそれ以上の言葉が思い浮かばずに黙ってしまう。ゆっくりと沈んでいく夕日が周囲をますます赤く染めていく。

空が紫色になり、最後に残った光が消えかかった頃、それまで微動だにしなかった風霧が口を開く。

「行こうか。」

ぽつりと言うと、棒の先に残った藁束の半分を外す。

「わたしは着替えてくる。……もしよかったら……待っていてくれないか。」

「うん。いいよ。」

風霧は考え込むような、少し苦しそうな顔でその場を後にする。しばらく待っていると、制服姿の風霧が出てくる。

「待たせた。」

風霧とおれは無言で校門へと歩き出す。

「結城。」

「ん?」

「さっきお前が言ったことだが……」

「うん。」

「わたしにはわからない。これまで、魔を切ることだけを考えて修行を積んできたから……」

「そうか……」

「ただ、お前の言葉に心を動かされるのも事実だ。」

「……」

「だから、もう少し考えてみようと思う。」

風霧が立ち止まる。

「その……礼を言う。結城が真剣に言ってくれたことは嬉しかった。」

「いや、そんな。」

「それでだ……結城。」

「なんだ?」

「お前……妖魔に会ったことがあるのか?」

「いっ?な、ないけど。」

「そうか……あまりにも妖魔を弁護するものだから、実際に知っているのではないかと思ったんだが……」

「知らない知らない。妖魔なんてまったく知らない。おれが言ったのは一般論だよ、一般論。」

「そうなのか?」

「そうそう。ほら、人でも相手が気に入らないからとにかく消せばいい、みたいな話は嫌いなんだ。だからそれと同じで淫魔も全部が全部悪い奴じゃないと思っただけ。」

「……そうか、疑って悪かった。」

「悪いことはないけど……」

「実を言うと、この学校には常に、かすかだが妖魔の気配が漂っている。それも一つではない。だから、もしかしてお前の知り合いにいるのではないかと思っただけだ。」

「そっ、そうなんだ……あっ、そうだ。おれ、自転車だからここで。」

急いでその場を立ち去ろうとするおれを風霧が呼び止める。

「あっ、結城……」

「うん?」

おれは、おそるおそる振り返る。

「その……今日も急ぐのか?」

「いや、別に。かーさんには図書委員で遅くなるって言ってあるし。」

「そ、そうか……そ、それじゃあ待っていてもいいか?」

「えーと……うん、いいよ。」

そう言うとおれは、風霧に背を向ける。

(ふう、びっくりした……ちゃんと誤魔化せたかな……まあ、嘘はついてないからいいか……淫魔には会ったことがあるけど、妖魔には会ったことがないしな……次にそのことを聞かれたら、今度はもっと上手く誤魔化さないと……)

MTBをに乗り、校門に向かうと風霧の姿が見える。

「お待たせ。行こうか。」

「ああ。」

おれは自転車を降り、風霧と歩き出す。

「風霧の家はおれより遠いんだろ?」

「あ、ああ。」

「なんで自転車にしないんだ?時間かかるだろ?」

「そ、それは……歩くのも修行のうちだと思っている。」

「ふーん。」

その後、会話が途切れて沈黙が続く。風霧の横顔をちらりと見てみると、ひどく固い表情をしている。

(えーと、困ったな。なんか話題はないか、話題は……あっ、そうだ。)

「なあ、風霧。」

「どうした?」

「風霧っていつも黒いストッキングだろ?」

「そうだが……」

「どうしてなんだ?」

「ど、どうしてって……な、なぜそのようなことを聞く?」

「いや、クラスの女子でいつもストッキングをはいてるのは風霧くらいのものだし、どうしてかなと思って。」

「そっ、それはだな……その……恥ずかしいのだ……」

ちょっとうつむいた風霧がつぶやく。

「恥ずかしいって、何が?」

「だから……この制服はスカートが短いだろ……」

「うん。」

「それで、素足を出すのが恥ずかしいからストッキングをはいているのだ……それに、わたしの足は女らしくないから……あまり人に見られたくない。」

「なんだ。それだったら別に隠さなくていいのに。」

「なぜだ?」

「風霧の足に見惚れてる男子なんていくらでもいるって。だから、別に隠さないでもいいと思うよ。」

「ばっ、馬鹿、なにを言い出すんだ。」

「ほんとだって。体育の時なんか、風霧がブルマで出てきたら、もうそっちの方しか見てない奴が大量にいるって。」

「そっ、そんな……」

風霧の顔がみるみるうちに真っ赤になっていく。

「だから、恥ずかしがることはないと思うよ。風霧が素足で来たら、興奮で錯乱するやつが続出するとは思うけど。」

「ばっ、馬鹿者……」

風霧はますます赤くなり目を伏せる。

(ちょっ、ちょっと言い過ぎたかな?)

「い、いや、おれは風霧のストッキング姿はすごく似合ってると思うけど……」

「そ、そうか……」

(…………うん。完全に話題の選択ミスだ。)

おれは再び訪れた沈黙の前に成す術もなく歩いていく。

家への交差点につくと風霧に声をかける。

「えーと。じゃあ、ここで。」

「あ、ああ。そうだな……」

風霧はそう言ったものの、ちょっと困った表情のまま、意を決しかねたように動かない。

「ど、どうした。」

「そ、そのだな……」

そう言うと、風霧は再び困ったような表情でうつむく。

「……そ、その……昨日のことを憶えているか?」

「昨日のことって?」

「あっ、だから、わたしが育った場所の話だ。」

「うん。憶えてるけど。」

「それで……結城は一度そういう場所に行ってみたいといっていただろ……」

「うん。」

「だっ、だから、もしよかったら今度の日曜日に一緒に行かないか?」

風霧は思い切ったようにおれの方を見てそう言うと、また目を伏せる。

「もちろん結城がよければだが……」

消え入りそうな声でそう呟く。

「うん。いいよ。」
「ごめん。日曜日は都合が悪いんだ。」

「ほ、本当か?」

「うん。」

「そうか……良かった……」

風霧はほっとしたように微笑む。

その後、日曜日の10時に駅で会う約束をして風霧と別れる。

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………………

……




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