. 雨の中を大慌てで駆けて、店の前に着く。中をのぞくと紗奈ちゃんの姿は見えない。

(よかった。)

ほっとしたおれはドアを押す。

「いらっしゃいませ……あら、あーちゃん。」

「こんにちは。」

「久しぶりね。もう、おねえさんのことなんか忘れちゃったのかと思ってたわ。」

胸の前で手を合わせた絢音さんがにこやかに言う。

「忘れてはいないですけど……」

「今日は会いに来てくれたんでしょ?さあ座って座って。」

「いや、そうじゃなくて……」

と言いかけるおれに、絢音さんは既に背中を向けている。結局なにも言えずに案内されたカウンター席に着く。

「ごめんなさいね。今、ちょっと混んでるからここしか空いてないの。」

「いえ。」

「ご注文は?」

「えーと……じゃあミルクティーのホットで。」

「はい。かしこまりました。」

にっこりと笑い絢音さんが離れる。おれは思い出したように携帯を確認する。紗奈ちゃんからのメールは入ってない。こちらから連絡しようかと思い、考え直す。

(久しぶりに友達といるのにせかすこともないか。)

携帯を置き、ぼんやりとしていると、カウンターの向こう側から絢音さんの手が伸びてくる。

「はい。ミルクティー。ポットは熱いから気をつけてね。」

「ありがとうございます。」

おれは小さな茶漉しをカップにのせ、紅茶をそそぐ。

「ねえ。これ、あーちゃんの携帯?」

「はい。そうですけど。」

ミルクを混ぜながら答える。

「ふーん。そうなんだ…………ねぇ、あーちゃん。」

絢音さんの問いかけに顔を上げると、こちらを見つめる視線とまともにぶつかってしまう。

「えっと……なんですか。」

「あーちゃんの番号教えて。」

絢音さんがにっこりと笑う。

「番号、ですか。」

「そ。」

「でも、その、どうするんですか?」

「どうって?」

絢音さんが首をかしげる。

「その、おれの携帯の番号を知ってどうするんですか?」

「お話するの。あーちゃんと。」

絢音さんは、そのままにこにこと笑っている。こうなるとそれ以上の言葉も出てこない。

「えーと、いいですけど……でも、おれ、あんまり出ませんよ、携帯。」

「そうなの?」

「ええ。よくカバンの中に入れっぱなしだったりするし、ポケットに入れてても音に気づかないことも多いし……それにメールも返すの遅いですし。」

「そうなんだ。」

「はい。前に10分メールを返さなかっただけで文句を言われて、一時はマメに返してたんですけど……」

「けど?」

「無理でした。面倒で。それで、返せる時にだけ返すようにしたら、来るメールが減って。いまじゃ緊急連絡専用機みたいになってます。」

「ふーん。それで、寂しくない?」

「そんなに寂しくないです。友達も携帯を使いたがらない奴が多い、というか、携帯を持ち上げるのすら面倒くさがる奴もいますから。それに、通話料が限りなくゼロに近いおかげで小遣い的にも助かってます。」

「うふ。なんだか、あーちゃんらしいね。」

「そうですか?」

「うん。おねえさんは好きよ。あーちゃんのそういうとこ。じゃ、これに書いてね。」

メモとボールペンを渡される。おれは番号を書いて絢音さんに渡す。

「ありがと。」

そう言い残すと、絢音さんはキャッシャーの方へと歩いていく。

(うーん。しかし、どうなんだろ?さっきはああ答えたけど、もしかするとおれは寂しい奴なのか?3日電話がかかってこないなんて普通だしな……こっちから連絡する相手といったら、親か紗奈ちゃんか一夜だけだし。まあ、一夜の奴がまともに電話を取ったことなんて一度もないけど。そもそも、よく連絡する相手の筆頭に親が入ってる時点で寂しい奴のような気がする……そうか、今まで気づかなかったけど、おれは寂しい奴だったのか。)

軽い動揺がおれを襲う。

(なんかまずい事のような気がする。これはどうにかしないといけない問題なのか……)と考えたところで、カウンターの上の携帯が鳴る。

(まあ、こうやってたまにはかかってくることだし、それでいっか。)

おれは安心して携帯を開く。

「あ、先輩ですか?」

「うん。」

「今、どこですか?」

「絢音さんの店にいるよ。」

「あっ……すいません……連絡が遅くなっちゃって。今春日ちゃんたちと別れたので、あと20分くらいで着くと思うんですけど……」

「うん。わかった。」

「ごめんなさい。待たせちゃって。」

「そんなことないよ。雨だから気をつけてね。」

「はい。それじゃ。」

「ん。またね。」

携帯を閉じると、絢音さんがこちらを見ている。

「今の紗奈ちゃん?」

「はい。」

「そっか……今日はおねえさんに会いに来たんじゃないんだね。」

「えっと、だからそれは……」

「あーあ。ちょっとがっかりだな。」

「えー、その……」

「あんなに息を切らせて入ってくるから、よっぽど会いたかったのかと思ったのに。」

「あれは……その、ちょっと剣道に連れていかれて、約束に遅れそうだったから……」

「剣道?」

「はい。実は、」

と、おれは剣道をやることになった経緯を絢音さんに話した。

「あーちゃんの剣道か。うんうん。似合うと思うよ。」

「似合いますか?」

「うん。きっとかっこいいと思うな。」

「はあ……」

「そうだ。あーちゃんはもうご飯食べたの?」

「まだですけど。」

「じゃ。ちょっと待っててね。」

そう言うと、絢音さんは奥へと引っ込む。なにもすることのないおれは、ぱらぱらと雑誌をめくって時間を潰す。何度目かのドアベルに顔を上げると、紗奈ちゃんが入ってくる。

「すいません。遅くなっちゃって。」

「早かったね。」

「そうですか?」

「うん。で、どうだった?春日ちゃんたちは。」

「はい。すごく喜んでました。いままで食べた中で一番おいしいぜんざいだって。」

「そう。それは良かった。」

「先輩はどうしてたんですか?」

「えーと……剣道。」

「剣道、ですか?」

「そう。一夜に運動できる場所を聞いてたら風霧に道場につれていかれちゃって。」

「風霧先輩に……ですか……」

紗奈ちゃんの表情が変わる。

「あっ、心配しなくても大丈夫だから。あのことはまったく憶えていないみたいだし。」

「そうですか。」

「うん。」

「それで……剣道部に入るんですか?」

「うーん。どうだろう。思ったより面白かったけど、部でやるとなると、また違うだろうし……正直わからないよ。」

そう答えたところで、絢音さんの声が聞こえる。

「はーい。おまたせ。」

絢音さんの手が伸びてきて、目の前にお皿が置かれる。

「野菜と鳥肉のマスタード焼き。試作品なんだけど食べてみてくれる?はい、紗奈ちゃんも。」

おれは目の前の料理を見ながらしばし考え込む。

(昨日もおとといも連続で家で夕食を食べなかったから、今日も帰らないとさすがにまずいんだけど…………でも、絢音さんがせっかく作ってくれた料理を断ることができるかといえば……できるわけがない。うん。そりゃそうだ。)

「ん?どうしたの。」

「いえ。なんでもないです。いただきます。」

おれは、出された料理を口にする。

(うーん。おいしい。焼いた野菜とマスタードの組み合わせがこんなにおいしいものだとは思わなかった。ちょっとこげたトマトとジャガイモと鳥肉、マスタードのからみが絶妙だ。これってオーブンで焼いたのかな?)

とまたもや偽グルメなセリフを脳内で駆け巡らせながら夢中で食べる。

「どう?」

「おいしいです。」

「紗奈ちゃんは?」

「とってもおいしいです。」

「そう。よかった。ねえ、紗奈ちゃん。なにかこうした方がいい所とかある?」

「わたしは、これで十分おいしいと思います。」

「あーちゃんは?」

「えーと。個人的には、もうちょっと味が濃くてもいいと思うんですけど……」

「そっか……そうだね。男の子に出す時はもうちょっと濃い味の方がいいわよね……うん。ありがとう。」

「あっ、いえ。」

紗奈ちゃんと話しながら食事をした後、絢音さんにお礼を言って外に出る。

「おいしかったね。」

「はい。」

「でも、ちょっと困ったな。」

「どうしてですか?」

「最近、家でメシ食ってないからさ……かーさんが怒るんじゃないかと思って。」

「あっ……ごめんなさい……」

「えっ?なんで?」

「昨日もおとといも先輩を引きとめちゃったから……」

「あっ、違う違う。紗奈ちゃんは気にしないで。紗奈ちゃんと食べるのは嬉しいから。ただ、今日のはさすがにまずいかなと思っただけ。」

おれはあわてて声をかける。

「でも、先輩が怒られちゃったら……」

「まあ、その時はその時、かな。」

おれは、紗奈ちゃんを家まで送ると、急いで帰路につく。


………………………………

………………

……


(うーん。怒られた。)

予想通り、3日連続で夕飯を食べなかったことにかーさんが怒り、明日からは夕飯前の帰宅を義務付けられてしまった。

(自分だって突然、”今日はご飯作らないから”とか言うくせに……まあ、さすがに3日連続はまずかったかな……)

おれは、寝転がって、天井を見ながら考え込む。

(こうなると、バイトの後の紗奈ちゃんに会えなくなるけど……どうしよう………………)

おれは、今日も悩みを抱えて夢の国へと旅立った。




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