6月29日(火)


. ザアアアアアアアア

今日はいつもと違う音で目を覚ます。

「……ん……ザアアアって…………雨か……」

ベットの横にあるカーテンをめくると、大きな雨粒が窓を叩いている。

「昨日はあんなに晴れてたのに……けっこうひどいな、こりゃ。」

時計に目をやると、いつもより30分以上早い。

(どうしようかな……あと15分くらい寝てもいいけど……でも雨だと歩きの方がいいから時間がかかるな……それに、雨の中で紗奈ちゃんを待たせるわけにもいかないな。よし、決めた。)

顔を洗って制服に着替えると下に降りる。驚いた顔の母親をよそにトーストと焼いてもらったスクランブルエッグをコーヒーで流し込み、玄関を後にする。

(よしよし、このまま行けば、いつもより15分は早く着ける。雨の日に寝坊なんかしなくてホントに良かった。紗奈ちゃんだったら絶対待っててくれるもんな。)

真っ暗な空からは間断なく雨が降りそそぎ、6月も終わりだというのに頬をなでる風が肌寒い。

(何かもう一枚着てくればよかったかな。)

そんな後悔が頭をかすめた時、いつもの交差点に紗奈ちゃんの姿が見える。

(あれっ?紗奈ちゃん??)

おれは慌てて駆け寄る。

「紗奈ちゃん。」

「あっ、先輩。」

びっくりした紗奈ちゃんが顔を上げる。

「えっと、ごめん。待たせた?」

「いいえ。そんなことないです。」

「今日はちょっと早く来たつもりだったんだけど……」

「はい。まだ時間前です。」

「ねえ、紗奈ちゃんはいつも何時ごろに来てるの?」

「あっ、その、今日は早く来すぎちゃって。いつもはもっと遅いんです。」

「そうなんだ。」

「はい。」

「いや、おれはいつもギリギリにしか来ないから。いつもこんなに早く来てくれてるのかと思って。」

「大丈夫です。そんなことないです。」

「そう。」

答えたおれに紗奈ちゃんがにっこり微笑み、そのまま2人で学校へ向かう。

階段のところで別れ、教室へ向かう。朝に廊下を走らないのも久しぶりだ。

「おはよ。結城。」

教室のドアを抜けるとのぞみの声が聞こえる。

「よ。やっぱり早いな。」

「何がよ?」

「いや、委員長ともなると朝もずいぶん早く来るもんだと思ってさ。」

「なに言っての、これが普通よ。毎日毎日ギリギリに駆け込んでくるあんたの方がおかしいんじゃない。」

「そうか?」

「うぃ。す。」

気だるげな声が聞こえる。

「よっ、一夜。」

「あすまぁ。早出か、お前。あーあ。雨も降るはずだ。」

「あっ。そっか。それでこんなに降ってるんだ。」

妙に納得した顔でのぞみが答える。

「おいおい、お前ら、この雨はおれのせいじゃないだろ。」

「そーんなことはない。この世は見えない因果で結ばれていると考えてみろ。滅多にない遊馬の早起きと、滅多にない大雨が重なった。この2つの間に因果関係がないとは言い切れんだろ?」

「うんうん。納得納得。」

「納得じゃないだろ、納得じゃ。逆だ逆。雨の音がうるさくて早く起きたんだ。雨が原因でおれが結果だ。」

「と、いうことは、雨とお前の間に関係があることは認めるわけだ。ならば、遊馬の早く起きたいという願望が雨を呼び、その結果お前が早く起きたとも考えられるな。」

「あ、一夜。深いね、それ。」

ああ言えばこう言う。この2人は相変わらずだ。

そのまま3人で無駄話に花を咲かせていると、一日の始まりを告げるチャイムが鳴る。


………………………………

………………

……


昼休み。

「さて、今日も幸せ者の時間の到来ですな。」

「そうですな。木下さん。」

「しかし、見ましたか?昨日はなんと外でお食事でしたよ。」

「それも、あんな目立つ場所で。」

「いくらなんでも、あれは大胆すぎるんじゃないですかね。」

「まあ、我々のやっかみと言われたらそれまでですがね。」

「くそ、結城の奴……」

……今日も男子ABCは元気だ。

(いつもいつもこれじゃ、紗奈ちゃんも来にくいよな……なにかいい手はないか…………あっ、そうか。おれが行けばいいんだ。)

一ヶ月もこんなことに気がつかなかった自分に愕然として席を立つ。

下の教室へ行く途中で、紗奈ちゃんと出会う。

「あっ、先輩。どうしたんですか?」

「うん。木下たちがあまりにもうるさいから、迎えに来たんだ。」

「す、すいません。」

「別に紗奈ちゃんが謝ることじゃないよ。」

「でも……先輩に迷惑なんじゃないかと思って。」

「全然迷惑じゃないよ。こっちこそごめんね。最初っからおれから迎えに行けばいいのに、紗奈ちゃんが来てくれるのに甘えちゃって。」

「そ、そんなことないです。」

今日は簡単に空いた教室が見つかり、紗奈ちゃんが包みを開く。相変わらず色取り取りのおかずがならんでいて、食べてももちろんおいしい。

おれは昨日の反省もあり、早く食べ過ぎないように注意しながら箸をすすめる。

2人とも食べ終わると、紗奈ちゃんがバッグからまた新しい包みを取り出す。

「何?」

と尋ねるおれに、紗奈ちゃんは笑顔を見せる。

「今日はとっておきのデザートがあるんです。」

といって中身を取り出すと……

「そっ、それは……」

おれはしばし絶句する。

「……三ッ葉の豆餅では……」

三ッ葉の豆餅。それは、商店街の入り口にある和菓子の三ッ葉で売られている豆餅。そのおいしさは言うにおよばず、時間がたってもほとんど固くならず、味が落ちない点で名高い。最近は、評判のあまり店の前には長蛇の列ができている。さらには午前と午後に仕込まれた数だけしか買えないため、近くて遠い、幻の一品だ。

「よく買えたね。これ。」

「はい。昨日お店の前を通りかかったら、いつもよりも人が少なかったので買っちゃいました。」

「それでもならんだでしょ?」

「は、はい。30分くらい……」

「そっか。ありがとう。でも、そんなに待ってバイトには間に合った?」

「はい。昨日はいつもより早く終りましたから。」

紗奈ちゃんが水筒を取り出し、お茶をそそぐ。湯気が立ち上り、ほうじ茶の香りが漂ってくる。

それを受け取り、豆餅にかぶりつくと……

「……!」

「先輩?」

「……うまい。久しぶりに食べたけど、やっぱりおいしいよ。」

「よかった。」

「外側のちょっとした塩加減と、中の餡の甘さがなんとも。それに、もちもちとした食感にアクセントをつける豆の存在がえもいわれず……さらに付け加えるならば、ほうじ茶との相性も抜群だね。」

などと偽グルメっぽいことをいいながら再びお茶をすする。肌寒い中、その暖かさに心がなごむ。

「そういえば、今日の放課後はどうしよう?バイトは休みだよね。」

「あっ、それなんですけど……」

紗奈ちゃんがちょっと言いよどむ。

「ん?どうしたの?」

「あの、実は、今日の放課後、春日ちゃんと牧子ちゃんと月霜屋に行くんです。」

月霜屋はおれが紗奈ちゃんに教えた甘味所だ。

「あっ、そうなんだ。」

「月霜屋の話を春日ちゃんにしたら、どうしても行きたいって。それで、今日の放課後に約束しちゃったんです。」

「あの春日ちゃんが言い出したら……止められないよね。」

春日ちゃんは、紗奈ちゃんのクラスメート。まったく歯に衣着せない発言で、ずばずばと人の心に入ってくる子だ。紗奈ちゃんとおれの仲がこじれたときに学校をサボって会いに行くように勧めてくれたのが彼女で、そのおかげもあって今がある。

「そうか。うん。最近は放課後もずっと一緒にいたから、友達と遊びに行く暇もなかったでしょ?行ってきたらいいよ。」

「はい。でも本当は先輩と一緒にいたかったんですけど……」

「ん?なに?」

「い、いえ。なんでもないです。」

「じゃあ、今日は会えないね。」

「そんなことないです。春日ちゃんたちとは2時間くらいだと思いますから。」

「そっか。じゃあ、その後で、どこかで待ち合わせようか。」

「はい。」

「といってもこの雨じゃね……そうだ、絢音さんの喫茶店でいいかな?」

それを聞いた紗奈ちゃんの表情がちょっと曇る。

(ん?どうしたんだろ……)

おれは少し考える。

「あっ、そうか。せっかくの休みにバイト先で待ち合わせもないよね。」

「そ、そんなことないです。あの喫茶店は大好きですし。」

「そう?」

「はい。じゃあ、春日ちゃんたちと別れたら行きますね。」

紗奈ちゃんが笑顔に戻る。

「ん。わかった。」

その後、おれ達は、予鈴が鳴るまで話をして、それぞれの教室へ戻った。




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