. キーン、コーン、カーン、コーン

「ふう。腹減った。」

「おーい。学食いこうぜ。」

教室のあちこちから待ちかねたような声が湧き起こる。そして、いつもの儀式が始まる。

「そろそろ姫のお出ましだぞ。」

「そうだな。」

「いいよな。毎日姫のお手製弁当を食べられる奴は。」

「ああ、三国一の幸せ者ってやつだ。」

「しかし、なんであいつなんだ?神無執行部長もあいつに惚れてるっていうぞ。」

「うう、結城の奴め。なんと許し難い……」

男子A、B、Cの話し声が聞こえてくる。

おれは、1ヶ月たっても毎日同じ会話を繰り返す3人の持久力に感心する。

「おお、姫の登場だ。」

その言葉とともにおれと教室の入り口の間に見事な通路が出来上がる。こんな事態にも慣れたおれは、悠々と視線の中を横切って行く。

「あっ、先輩。」

入り口には、紗奈ちゃんがあいかわらず恥ずかしそうに立っている。

「ごめんね。いつもこんなで。」

「えっ。あの、いいんです。お昼ご飯を一緒にと思って……」

「もちろん。」

2人で空いている教室を探すが、なかなか見つからない。

「うーん。ないね。」

「ないですね……」

紗奈ちゃんも困った顔をしている。

「じゃあ、外で食べようか。」

「外、ですか?」

「うん。今日は天気もいいし。外で食べると気持ちいいと思うよ。」

「あの、でも。」

「ん?」

「あの、外に出ると、その……人に見られちゃうんじゃないかと……」

「うーん。そうだね。おれは気にしないけど、紗奈ちゃんは?」

「あっ。は、はい。先輩が嫌じゃなければ……」

「じゃ決まり。行こうか。」

校舎を出て、木陰になった芝生に腰を下ろす。

「うーーーん。気持ちいい。」

思いっきり伸びをするおれ。

「はい。先輩。」

「ありがとう。」

受けとったランチボックスを開けると、色とりどりのおかずが目に入る。

「いただきまーす。……うん。うまい。うまいよ。この卵焼き。」

「そうですか?」

「うん。塩加減といい、焼き加減といい、ちょうどいいと思うよ。」

「よかった。」

微笑む紗奈ちゃんの横で食べるご飯は本当においしい。

朝メシをろくに食べていなかったおれは、あっという間にランチボックスをカラにする。

「ごちそうさま。」

「先輩……」

「あっ。ごめんごめん。美味しかったからつい。」

紗奈ちゃんの方を見ると、まだほとんど減っていない。

「ごねんね。紗奈ちゃんはゆっくり食べて。」

「はい。あの、これ。」

紗奈ちゃんはそう言うと、水筒からお茶をついでくれる。

「ありがとう。」

ちょっと気まずそうに頬をかきながらカップを受け取るおれを、紗奈ちゃんは嬉しそうに見ている。

「ふう。冷たくておいしいよ。やっぱり、ペットボトルよりもこっちの方がおいしいね。」

「はい。」

おれはコップを返すと木の根元に寝転がる。

「ふう。」

晴れた空に流れる雲を見ながら木漏れ日を浴びていると、なんとも落ち着いた気分になる。隣の紗奈ちゃんはなにも言わないけれど、暖かい波のようなものが伝わってくる。気になって少し横目で見てみると、小さな口でちょっとずつ食べている姿がなんとも可愛い。

「あ、あの、先輩。」

「ん?」

「あの、食べているところを、そんなに見られると恥ずかしいです……」

「あっ。ごめんごめん。」

おれは慌てて視線を空に移す。(こういうのっていいな……)そんなことを考えながら目を閉じる。


………………………………

………………

……


(……遠くで音が聞こえる……「先輩!先輩!」……先輩か……いい響きだ……「起きてください。先輩。」体が揺れる。起きる、起きた、起きたら。動詞の変化も今ならわかるな……「先輩!」さらに体が揺れる。)

「先輩!授業始まっちゃいますよ!」

「……」

目を開けると紗奈ちゃんの顔がそこにある。

「寝てた、よね。」

「はい。すごく気持ちよさそうでした。」

「ごめん。」

おれは、体を起こす

「退屈だったでしょ?」

「いいえ。大丈夫です。」

そう答える紗奈ちゃんの頬がなぜか赤い。

「いま何時?」

「授業まであと5分です。」

「そっか。もう行かないとね。」

「はい。」

2人でゆっくりと校舎へ向かう。

「今日の放課後はどうしてる?」

「えっと、今日もバイトです。」

「そっか。じゃ、その後で会おうか。」

「いいんですか?」

「もちろん。終わったころに迎えにいくよ。」

「はい。」

紗奈ちゃんが答える。

「じゃ、また後で。」

「はい。」

紗奈ちゃんと別れて教室に向かう。ドアを開け、じっとりこちらを睨みつける男子ABCの視線をいなして席に着く。

チャイムがなって午後の授業が始まる。


………………………………

………………

……

   キーンコーンカーンコーン……

放課後を告げる鐘が鳴る。

「おい、一夜。」

「あ?」

顔の皮膚を机と同化させた一夜が答える。

「今日はどうすんだ?これから。」

「あー……おれはパス。」

「パスって、お前。まだなにも言ってないぞ。」

「今日はパス。だりいんだわ。」

「今日”は”か?」

「ああ。」

「いつもとどこが違うんだ?」

「まあ、アンニュイな変化ってやつだ。」

そう言うと、一夜は首を傾けたまま立ち上がり、ふらふらと教室を出て行く。

(大丈夫か?あいつ。……まあいいか。紗奈ちゃんとの約束までにはまだ間があるし、どうしよう……一度家に帰ろうかな。)

そう決心したところで、自転車置き場に向かう。すると、玄関を抜けたところで呼び止められる。

「あーすまくん。」

「あっ、静流さん。」

おれは振り向きながら答える。

「もう帰るんですか?」

「うん。今日の仕事は朝に終わらせたから。」

「そうですか。」

「ねぇ、遊馬くん。これからお散歩に行かない?」

「散歩ですか?」

「そ、今日は天気もいいし、公園にでも行ってみない?」

「あの、それはちょっと…」

昨日のことがあるから、うかつに静流さんの誘いには乗れない。

「駄目なの?」

「えっと……今日は散歩って気分じゃないですから。」

「あら、なに言ってるのよ。ペットを散歩させるのは飼い主の義務じゃない?」

「義務って……」

「知ってる?ペットを散歩につれていかないとストレスが溜まって、円形脱毛症になったり、胃潰瘍になったりするんだって。かわいそうだと思わない?」

「それは……」

「ねっ、だからお散歩に行きましょ。」

「えっと……」

重ねて誘われると、断る言葉が思い浮かばない。

「それとも用事があるの?」

「用事はないですけど……」

「じゃ決まり。」

結局いつものパターンで静流さんに連れ出される。

「ほんとにいい天気よね。」

「今日は執行部の仕事はないんですか?」

「大丈夫。今日はこのために朝早くから行ったんだもの。」

「そうですか。」

「でもね、今週はこれから忙しくなりそう。そしたら遊馬くんにもあまり会えなくなっちゃうな。」

静流さんはそう言うと、楽しそうに一歩先を歩いていく。MTBを押したおれは、おとなしくその後をついていく。

(ははは……これじゃ俺が散歩させられてるみたいだ……)

しゃれにもならない考えが脳裏をよぎる。

「遊馬くん。あそこに座ろうか。」

公園に着くと、静流さんが空いているベンチの一つを指差さす。

「はい。」

おれは、おとなしく静流さんの隣に座る。と、その瞬間、おれはあることに気がつく。

「静流さん。」

「なに?」

「静流さん、昨日、静流さんは猫だって言ってましたよね?」

「そうだけど。どうしたの?」

「猫って散歩は必要ないですよね?」

「あら。ばれたか。」

「ばれたかって……」

「いいじゃない。歩くと健康にいいんだから。ね?」

静流さんにそう言われると、それでいいような気になる。

(いかん。なんだかんだ言って行動を支配されている気がするぞ……)

「ねえ、遊馬くん。」

「なんですか?」

「膝枕してあげよっか?」

「いいです。」

「いいの?」

「いいと言うより、それは駄目です。」

「えー、つまんないの。じゃ、遊馬くんの肩かして。」

静流さんがおれの肩に頭をのせる。

「うん。ちょうどいい高さだね。」

肩に静流さんの重さが感じられる。しばらくすると、少し肩の重みが増し、静流さんの体の力が抜けていくのが感じられる。

(えっと……どうしよう。)

対応策が思いつかないおれは、しかたなく動かないことに決める。

「遊馬くん……」

静流さんの方に首をめぐらせると、なにかが頬に当たる。

「ふふ。ひっかかった。」

静流さんが指をおいていたらしい。

「あの……子供じゃないんですから。」

「いいじゃない。これくらい。」

そういうと静流さんは体を起こす。

「今日は本当にいい天気よね。」

「そうですね。」

「ねえ、喉、渇かない?」

「少し渇きました。」

「ジュース買いに行こっか。」

自販機でジュースを買うと、おれと静流さんは別のベンチに座り、とりとめもない会話を交わす。気がつくと、公園の木々が夕日に赤く染まっている。

「えっと……おれ、もう行かないと。」

「そうなんだ。」

「はい。」

「紗奈との約束?」

「はい。」

「そっか……ね、今日もうちでご飯食べれば?」

「いえ。それは悪いですし。」

「逆なんだけどな。」

「えっ?」

「遊馬くん、たまにバイトの後の紗奈を食事に誘うでしょ。」

「はい。うちのかーさんはいい加減で、突然夕飯を作る気をなくして、外で食べろとか言い出すことがあるから……そういう時は紗奈ちゃんに行けるかどうか聞きますけど。」

「その時、紗奈に断られたことある?」

「えーと……」

そう言えばないような気がする。

「ないと思います。」

「でしょ?紗奈ったら、本当は絢音さんの喫茶店でご飯を食べられるのに、絶対に食べてこないのよ。」

「それって……もしかして……」

「そ。遊馬くんが誘ってくれた時に一緒に食べれないのが嫌だからだって。絢音さんには家でご飯を食べるからって言ってるみたいだけど。」

「あっ……」

全然知らなかった。

「だから、今日は紗奈を誘ってあげて。せっかく両親がいないんだし。」

「わかりました……」

「じゃ、またね。」

「はい……」

おれは、MTBで絢音さんの喫茶店に向かう。

バイトが終わった紗奈ちゃんと一緒に神無家に行き、今日も2人の料理をごちそうになって帰宅する。


…………………………

………………

……


(……ふう。また食べ過ぎた……)

今日も家で夕食を食べなかったおれに、かーさんは文句を言ったけど、そんなに怒ってないようだった。

(でも、あんまり続くとまずいかな……)

明日は家でご飯を食べよう、と心に誓う。

(だめだ……腹一杯に食べて風呂に入ったら眠気が……宿題があるんだけどな……休み時間に写そうかな……)

おれは知らない間にぐっすりと眠り込んでいた……


…………………………

………………

……




↑To Top Page  To Next →