7月10日(土)


. ほとんど一睡もできずにベットから起き上がる。

そういえば、昨日、学校にMTBを置いてきた。カバンも忘れたから、適当なバッグに教科書を詰めていく。そういえば、職員室に置くべき武道場の鍵もポケットに入っている。

自転車とは違って見える景色の中を、歩いていつもの交差点に向かう。

そこには、紗奈ちゃんと静流さんの姿が見える。

(なんで?静流さんが?)

「先輩。」

「遊馬くん。」

2人が同時に近寄って来る。

「大丈夫でしたか?」

「心配したんだから。」

2人はおれの前で立ち止まる。

「あれからどうだったの?」

静流さんがたずねる。

「風霧を家まで送っていきました。」

おれはとりあえず嘘をつく。

(静流さんの前では言えないし……)

「ねえ、紗奈ちゃん。」

「はい。」

「今日の放課後大丈夫だよね?」

「はい。」

「じゃあ、月霜屋でも行こうか。」

「はい。」

「ちょっと、わたしは誘ってくれないの?」

「今日は紗奈ちゃんと2人がいいので……」

「なによそれ、仲間はずれにしちゃって。」

静流さんがすねてしまう。

(今日は仕方ないよな……)

「そういえば、紗奈ちゃん」」

「なんですか?先輩。」

「昨日、どうしてわかったの?」

「聞こえたんです。先輩の声が。」

「声が?」

「はい。すごく切羽詰まった感じで、”紗奈ちゃん”って。」

「そうなんだ。」

紗奈ちゃんにそんな能力があるとは知らなかった。

「でも、変なんです。その後は、”一夜一夜一夜”って言葉がずっと聞こえて……一夜って黄泉塚先輩のことですよね?」

「うん。そう。」

それも聞こえてたんだ。

3人で歩いていると、大通りとの合流点に人影が見える。

(あれは……)

「風霧……」

おれの言葉に、しゃべっていた2人の声がピタリと止む。

立ち止まったおれ達の所へ、風霧がやってくる。

「おはよう、結城。」

「お、おはよう。」

「おはようございます。神無先輩。」

「おはよう。」

風霧は、まるで昨日のことなどなにもなかったかのように挨拶をすると、紗奈ちゃんの前に立つ。

「神無紗奈、だったな。」

「は、はい。そうですけど。」

「今日は言いたいことがあって来た。」

「なんですか?」

「わたしは、結城遊馬のことが好きだ。」

紗奈ちゃんが目をぱちくりさせる。

紗奈ちゃんがなにか言うよりも早く、静流さんが口を開く。

「ちょっと、風霧零ちゃん。」

風霧が静流さんに向き直る。

「先輩にちゃんづけで呼ばれる筋合いはありませんが。」

「横恋慕っていうんだけどな。そういうの。」

静流さんのこめかみがひきつっている。

「先輩はどうなんですか?」

風霧は一歩も引かない。

「わたしはいいの、一番最初だったから。」

「こういうことに、一番も二番もないでしょう。」

にらみ合う2人の間の空気が、もの凄い勢いで密度を増していく。

(なんで……こうなるんだろ……)

心が現実逃避をしかけるおれに、紗奈ちゃんが言う。

「先輩、やっぱり風霧先輩となにかあったんですね。」

紗奈ちゃんがおれの顔をにらむ。

「う、うん。」

おれはその眼差しの前に、嘘もつけずに答える。

「もう……先輩ったら……でも、わたし、負けませんから。わたしも先輩のことが大好きです。」

そう言うと紗奈ちゃんは2人の間に割って入る。

「おねえちゃん、風霧先輩。先輩は絶対に渡しませんから。」

きっとにらみつける2人の視線を紗奈ちゃんは見事に受け止める。

3すくみでのにらみあいが続き、その中心にある空気が、これ以上ないくらいに凝縮されていく。

(ああ、これだけの力の場があれば、第三世界への扉がひらきそうだ……)

おれは、3人の間を蜃気楼のように立ち上る空気を追いかける。

そこには、真っ青な夏の空を背景にして、朝日に照らされた白い雲がぷかぷかと浮かんでいた。



------- おしまいま。 -------




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